震災で園舎を失った高田保育所。
震災後、老朽化により取り壊し予定だった旧米崎保育園の園舎を間借りする形で再開されていましたが、この春ようやく新しい園舎が高台に完成し、子どもたちの笑顔が地元に戻ってきました。長谷川建設では、この高田保育所の新園舎を建設させていただきました。
昨年の8月に安全祈願祭を行ってから約1年。高台へと場所を変えて新しく建てられていく園舎の過程を少しずつ記録しました。
保育所は、子どもたちが毎日生活する場所です。子どもと言っても0歳から6歳までと年齢に幅があり、体の大きさも変わってきます。手すりや階段、水道などのほんの少しの高さによって、過ごしやすさも大きく変わってきます。だからこそ、設計担当の方と細部にわたって相談しながら、より強固でより健全な建物を提供することを心がけて作業を進めていきました。
むき出しのコンクリートや鉄筋の足場など無機質な現場の雰囲気も、次第に装飾が施され小さな机が搬入されると子どもたちの声が聞こえてきそうな温もりのある雰囲気に変わってきました。建設現場には子どもを持つ親たちも多く働いていたこともあり、子どもたちが喜び感謝してくれている姿を想像しながら建設に携れる現場だったことが、作業の何よりの励みになったように感じています。
完成した園舎や園庭で過ごす子どもたち。
ママたちのお話によると、新しい園舎での生活が始まってすぐは前の園舎がいいと泣き出す子や保育園に行きたがらない子がいたとか。
そうですよね。建てた者が言うのもなんですが、新しいからいいというものでもありません。建物はそこに人がいてくれるからこそ、初めてその存在に意味があります。だから、前の園舎を思い泣いてくれる子のお話に自分が建てたものでなくても思わず嬉しくなります。
通い始めはママと離れられず泣いた日、でもある日涙ひとつ流さず園舎の中に友達と走って入る姿にママが涙した日。そんなひとつひとつの場面の背景にある建物が、いつの日か刻まれた記憶のひとつになっていたら、それが建設屋の密かな喜びだからです。
まだまだ先の話だけど、いつかどこかで一緒に仕事でもできたらこんな昔話してみようか。
7月1日の金曜日、「第35回 建設業労働災害防止 気仙地区大会」に参加いたしました。
場所は大船渡市リアスホールの大ホール。大会には気仙地区の建設会社・工務店の方々が集まり、大会の人数は約350名にものぼります。長谷川建設からも15名が参加いたしました。
大会では、まず安全祈願の神事や安全の誓いを行い、労働基準監督署様や大船渡警察署様から安全についてのご講話を頂きました。お話によると、気仙管内での交通事故の傾向は「前をよく見ていない」「先を急ぎすぎている」という傾向が強いとのこと。【Stop・See・Stay】の『スリーエス運動』のご紹介と、特に気仙管内の場合は【Stay(待つ)】が重要である、とのお話が印象深かったです。
「見えますか? あなたのまわりの 見えない危険 みんなで見つける 安全管理」
大会スローガンです。スローガンに込められた意味は「今まで以上に安全に注意を払いましょう」「職場全員で取り組みましょう」「経験が浅い労働者にも十分に指導しましょう」などであるとのこと。長谷川建設も日頃から安全・無事故を心がけておりますが、このスローガンと大会での誓いを胸に、ますますの安全意識の向上と、安全管理体制の充実に取り組んでまいります。
(気仙地区大会の様子は、こちらでご確認いただけます。)
岩手県建設業協会ブログ「いわけんブログ」
http://www.iwaken.or.jp/info/2016/07/04_0930.html
また、大会終了後には、参加者全員で清掃ボランティア活動に励みました。長谷川建設は米崎町アップルロード周辺のごみ拾いを担当。地域の皆さまにおかれましては、ご理解ご協力まことにありがとうございました。
社長 長谷川は、現在岩手県建設業協会大船渡支部青年部で部長を務めております。今期で3期目6年目、最後の年。
岩手県建設業協会大船渡支部青年部では、2012年3月から「二十歳の君へ」プロジェクトと題して、タイムカプセル事業を毎年行っています。小学校を卒業する6年生に8年後の二十歳の自分に向けてメッセージを贈るというプロジェクトです。第5回目となる今回は、大船渡支部管内の9校150名に参加をいただき、去る3月29日、集まったメッセージを格納いたしました。
岩手県建設業協会では「ふれあいウィーク」と称して、地域の子供達にイベントを通じて建設業の仕事に触れてもらう活動を、毎年各地域で様々なイベントを開催していました。震災から1年、建設業の仕事として子供達の目に映るのはおそらく瓦礫撤去の姿だけだった頃、彼らとどんな時間を過ごせるだろうかと考えた時、まずこみ上げたのは下向きがちだった顔をもっと上げてもらいたい、という単純な願いでした。将来に華やかな夢を持ち、それを語るにはまだ苦しいかもしれない。だから遠い将来の夢ではなく、近い未来の自分へ贈る言葉を紡いでもらうことにしました。それを二十歳の成人式の時に、きちんと届けて成長した君たちに会いたい。そこが始まりでした。
大船渡支部管内の小学校に声がけを行い、参加をご希望いただいた学校のみなさまと共に事業を進めて参りました。大きな規模の小学校では独自に活動を行っていることもあり管内すべての小学校とまではいきませんが、中には毎年参加をしていただいている小学校もあります。手紙を書いたり、今のみんなの写真だったり、寄せ書きをしたサッカーボールだってあります。二十歳になる頃にはそれぞれの道を進み、毎日顔を合わせていた小学校の頃がすでに思い出になっている頃。それでも、このカプセルを楽しみに成人式にふるさとに戻ってきてもらえたらおじさんたちはとっても嬉しいです。
さて、建設業ですが、穴を掘っては埋めません。とある秘密基地に格納です。基地をつくっちゃうのも建設業ならでは、とういことで。がっちり封印して保管しておりますのでご安心ください。
集合写真、ちょっともたつきましたが意外とこんな時の方がいい笑顔だったりしますね。ちゃんと撮れたかどうかは、こちらでご確認ください。
岩手県建設業協会ブログ「いわけんブログ」
http://www.iwaken.or.jp/info/2016/03/29_1219.html
横田町にある市立横田中学校が69年の歴史を閉じる閉校式が行われました。
1947年(昭和22)、横田村立(当時はまだ村でした)横田小学校の校舎の一部を間借りする形で、横田村立横田中学校は開校しました。その後1954年(昭和29)に校舎が完成、翌1955年(昭和30)には市制施行により陸前高田市立横田中学校と改称。また1991年(平成3)には新校舎および体育館が完成しました。実は社長 長谷川の母校でもあります。
この新校舎は、長谷川建設で施工いたしました。当時はめずらしいホームルーム制を取り入れた空間づくりで、1日の始まりと終わりは各学年のホームルームで、授業は、数学は数学教室、理科は理科室と、それぞれの教科によって教室を変えるというものでした。また、入学式などの大きな行事以外の全校集会などは、校舎の真ん中にある吹き抜けの多目的ホールで行っていました。先生と生徒がいつも顔を合わせていられるようなアットホームな雰囲気は、小規模な学校ならでは。白い校舎は、学校生活を守るため鉄筋コンクリートの頑丈な駆体。一歩中に入ると、自然に囲まれた横田の風景を肌で感じられる木のぬくもりある内装。まだまだ、現役です。校舎の取り壊し予定はないため、今後再び地域のために活用されるよう私たちも積極的に取り組んでいきたいと思います。
閉校式の中で生徒たちによる別れの言葉がありました。
「私たちのこの一年間にはいつも『最後の』がついていました。『最後の入学式』、『最後の運動会』。それはとても悲しく切なかったです。」
大人の勝手で振り回し、たくさんのものを背負わせてしまった目の前の子供たちに、申し訳ない気持ちが込み上げます。それでも、こう続けてくれました。
「これからは両手に溢れる思い出と誇りを持って前に進んで行きます。」「ありがとう。横田中学校。」
閉校の理由。それは生徒数減少による統合です。4月からは高田町にある市立高田第一中学校にスクールバスで通い始めます。元気に挨拶しながら歩く生徒の姿が通学路から消える。全校生徒が14名になったとしても、地域で子供たちを育てる環境を続けていく方法を、模索し整えることができなかった大人の責任を大きく感じます。
彼らの言葉を、私たちは今胸を張って受け止められるでしょうか。
最後には出席者全員で校歌斉唱。校歌ももう歌われなくなります。閉校とは、形あるものだけでなく、形ないものまでもなくなるのかと、ひとつの歴史が刻まれることの大きさを痛感しました。
子供たちが担う未来のまち。私たちが同じ思いをしないようにではなく、彼らにもう同じ思いをさせないよう、何を創り、何を残していくべきかを、土地・人・生活と様々な視点から考え、笑顔のあるまちづくりにこれからも尽力して参ります。
生徒たちは、こうも言ってくれました。
「私たちは受け継ぐだけではなく、発展させていかなくてはならないことを学びました。」
彼らは、私たちの誇りです。
横田中学校、69年間おつかれさまでした。69年間ありがとうございました。
2016年2月15日に矢作町で発生した落石に伴う国道343号線通行止め。一関と陸前高田をつなぐ主要道路のため、発生直後から日常生活に大きな支障が出始めました。これまで30分程度の通勤が気仙沼経由の迂回路を利用することで1時間半に!なった方も。毎朝流れる防災無線からの「通行止め」の情報に、がっかりした方は多かったことと思います。
この復旧工事、岩手県から委託され長谷川建設で行いました。予定にない突発的な緊急工事。現場代理人決定から、工事工程の決定、そして着工までの初動から、途中過程、完成まで、作業員の安全を第一に確保しつつ、迅速かつ臨機応変な対応を求められるものでした。
今回の工事は、国道脇の民間の土地をお借りし落石の危険性のある箇所を迂回する道路を新たに作る方法で進められました。脇に川が流れているため橋脚の建設もあります。落石の危険性など様々な条件が重なってはいましたが、何より住民の方々の生活を支える道路をできる限り速やかに復旧させることを目標に、大型重機での作業や手仕事での作業など、全員が毎日懸命に取り組みました。
2016年3月11日、10時をもって通行止めは解除されました。
ご利用のみなさまには長らくご不便をお掛けいたしました。復旧工事へのみなさまのご理解ご協力、まことにありがとうございました。また、ご協力いただいた関係者のみなさま、約3週間もの間ご尽力をいただき本当にありがとうございました。
岩手の湘南と言われる陸前高田。岩手県では比較的暖かいとされていますが、あくまで比較的ですから、雪もしっかり降ります。電車が通っていないため、陸前高田へとつづく主要道路に積雪があると日常生活への影響も多大です。特に車社会では雪が降った途端に事故が起きる危険性も一気に高くなります。
陸前高田市では市内のいくつかの建設会社が分担をする形で岩手県および陸前高田市より除雪業務を請け負い、陸前高田市近郊の冬季の除雪作業を行っております。長谷川建設では、国道340号線および国道343号線を中心に除雪を行っております。
除雪作業は交通量が増える朝の通学・通勤時間に間に合わせるため、深夜に行われます。午前2時より国道のパトロールを実施、現場での状況を県または市へ報告します。その報告を受けて、実施の有無が決定され、作業という流れです。そのため、この時期は担当スタッフがローテーションで待機し、出動に備えます。
除雪と一言で言ってもその方法は道路の状態や雪の状態によるため、出動する車両も異なります。
グレーダーと呼ばれる除雪車両は、道路の脇などに雪を寄せていきます。同時に、ブレードという刃を道路の表面ギリギリまで近づけ、凸凹に固まった雪を削り落とし路面整正も行っています。高度な技術が必要な上、深夜という視界の悪い中では、作業者の経験からの感覚が頼りです。
ロータリーと呼ばれる除雪車両は、砕いて掻き込んだ雪をブロワーで勢いをつけて遠くに飛ばしながら道路拡幅を行います。
仕上げには、路面凍結防止や既に凍結した路面の融解のための塩化ナトリウムを撒く散布車の登場です。
どの車両もそれぞれの特徴もあり、勇敢な姿をしているのですが、深夜から早朝にかけての作業のため目にしていただくことはほとんどないかと思います。それでももし、次にどこかで除雪された道路を通る際には、こんな作業があったのかと少しだけ思い出してもらえると嬉しいです。
積雪量によっては何度となく繰り返し同じ場所の作業を行うなど、自然相手の対応は毎回すべてが計算外といっても過言ではありません。しかしながら、どんな状況でも常に道路の安全を保つために細心の注意を払って作業を行っております。近隣の皆様やご通行中の皆様にはご迷惑をおかけする場合があるかと思いますが、ご協力のほどよろしくお願いいたします。